2024-01-01から1年間の記事一覧

じっとして

雨の日は家にいて、じっとしていたいものだ。できないけど。 動けなくなった時の為に、何を楽しみとして過ごすのか、今のうちから考えておかなくては。

希望がない

希望はあまりないのです。自分にもこの世の中に対しても。それでも生きて行くことに変わりはない。泣いてなどいられない。 背中が痛い。

思わない

声を聞いていたい、とも思わない。話を聞いてもらいたい、とも思わない。沈黙は寂しいけれど、淡々と生きていたいのです。

古い映画は

入手困難な古い映画のDVDばかり探すのではなく、まだ評価の定まっていない近頃の映画でお茶を濁したらどうかね。

岡山へ

ゴミ出しの後、 電車で岡山に(ドトール、NHKアーカイブス、幸町図書館、うどん)。 帰って、食料品、姉へ、エディオンへと。 七千歩

旧友より

旧友より連絡あり。お互いに歳を重ねた。昔のようにはつるんでいられない。

今安売り

今だけ安売りだとか、クーポンがあるだとか、みんな騙されている。本当に大切なことが見えにくくなっている。

取寄せができなくなった

古い額面の切手も使わなくては。 TSUTAYAでの取寄せができなくなっていた。観たい作品の新たな取得方法を探さなくては。

初夏のよう

まるで初夏のよう。 外食のあとの歯磨きをする習慣が滞りがちだ。

鼻の腫れが

鼻の腫れ治まらず。単なる花粉症とは思えない。

整理整頓掃除が

整理整頓掃除ができていれば苦労はしない。 行き当たりばったりの外食選びは悩ましい。

退屈さを

退屈さを趣味にすることができたら、この人生もう何事もなくても安穏なのだろう。

外食では

外食は夕方よりも朝昼で。でも夕食こそしっかり食べたい。家ではボリュームのある食事は難しい。朝昼食は軽めに。家で軽く済ませたいけれど、出先ではどうしても外食になりがち。外食では少食の選択が少ない。

いつまで車を

もう車の使用は控えると言いつつ、相変わらずちっともその頻度が減っていない。このまま続くとも思えないが、そろそろ真剣に対処しなくては。

声が出にくい

話すことを嫌っていたから、声を出すことが困難になってきたのかもしれない。

自由に生きて

自由に生きて野垂れ死にできるならば、それに越したことはない。人の世でしがらみに抗いながら不自由に生きて、何の喜びがあろう。

菓子ばかり

お菓子や菓子パンばかりで腹を満たしていては、身体に悪いのだろうな。

音楽は

音楽はできれば、レコードでなく生演奏で、素人よりもプロで、料金は安めで、座席はゆったりと、時間は長すぎず、遅くならない時間帯で、楽しみたいものだ。

もったいない

読もうとしたら、すでに読んだ本だった。観ようとしたら、すでに視聴済の映画だった。残り時間がもったいない、と思ってしまう。

大阪へ

新幹線で大阪に行く(福田平八郎展、円空展、都そば、栖鳳展)。 帰って、食料品購入へと。 一万二千歩

美の感性

人はどうして「美しい」と感じるのだろうか。その感性はどのようにして生まれるものなのだろうか。

ままならぬ

いらないアプリは削除できなくて、動いてほしくない時に勝手に動く。ままならない。

音楽三昧の

春の装いに切り換えなくては。 今週は音楽三昧に。

鴨方へ

ウォーキング、会合の後、 車で鴨方に行く(そば、ジャズ、ギャラリー)。 帰って、食料品、図書館受取へと。 三千歩

見えない書けない

まったく、読める字が書けなくなってきた。どうしたものか。 美術鑑賞の展示を見るのも、あまりよく見えなくなっている。方式を変えなくては、と思う。

福山へ

電車で福山に行く(親子丼、ふくやま美術館、草戸千軒ミュージアム講座)。 帰って、食料品購入へと。 五千歩

物を少なく

スッキリものを片付けるためには、まず物を少なくすることだ。分かってはいるのだが。

忘れている

5分後10分後にしようと思うことがらは、たいてい忘れている。 鼻の左の方が少し前から腫れた感じになっているのは何だろう。

忘却こそ

老後の人生には、楽しかった思い出があれば、その後が波風のないつまらないものであっても、心安らかに生きていける、というのはウソだ。思い出だけじゃ生きていけない。忘却こそが人生の真実に近いような気がする。

日常は戦場で

平穏なのが日常ではない。戦場こそが本来の日常。災害が通常。傲るな。