疑問
人はどうして「美しい」と感じるのだろうか。その感性はどのようにして生まれるものなのだろうか。
カコイイとか美しいとかの感性は、どのようにして形成されるのだろう。みんな違うと思うのだが。 空飛ぶクルマ展示場
漫画を読んで漫画家を志す人、ゲームを楽しんでゲームクリエーターを目指す人、小説を読んで小説家を望む人、翻訳本を読んで翻訳者を目指す人、映画に惚れて映画界を望む人。そんなもんじゃないと思うが、ワークショップで裾野が広がるものだろうか。体験は…
国際的課題としてカーボンニュートラルを言うのなら、プラスチックの流通を大幅に減らし、電気の使用をもっと控える社会体制にしなくてはならないのではないか。
同性愛を毛嫌いすることは、今の時代、差別に通じるのではないか。自分は同性愛者ではないとの過剰アクションが。では、そうでないことをどう表現したらいいのだろう。
写真より動画が優先ダウンロードされるのはなぜだろう。DVDよりCDの方がレンタル料が高いのはなぜだろう。
ただ頑張ればいい、というものでもなかろうに。頑張りすぎてもいけないし。 若者の心に響くにはどうしたら良いのだろうか。
戦争を仕掛けたロシアが悪いのだろうが、ウクライナは何の問題もないのだろうか。一方に支援することで良いのだろうか。止めさせる努力はできないものなのだろうか。
家に帰らない人は、どこで食べているのだろう。どこで着替えているのだろう。洗濯物はどうしているのだろう。どこに寝ているのだろう。
20世紀の何某って、古いと言いたいのか。19世紀に作られたものの価値はどうなのか。平安時代の文化は、縄文時代の生活史はどう評価するんだ。
縄文人は日本の土地に住んではいても、その後の日本人とは別の種ではなかったのか。とてもその後の日本人につながっているとは思えない。
昨夜の夢もまた、仕事時代が舞台のシーンだった。 通常の性行為で妊娠できない場合のための技術が、性行為なしで出産するための方法という時代になっているのか。
セミの声を聞く。静かにゆっくり思索の時間を持つ。そんな贅沢は許されないのか。 うなぎを少し食す。
世はこぞってクリスマスムードに突入す。なぜキリストの誕生を祝わなくてはならないのだ。プレゼント合戦はクリスマスとは何の関係もないだろうに。キリスト教徒が彼ら同士でお祈りすればいいだけだろう。異教徒たちに不信心者たちに何の関わりもないことだ…
どうして女の人は、スカートを履くのだろう。日傘をさすのだろう。ピンク色が好きなのだろう。愛されたがるのだろう。占いが好きなのだろう。
朝はスープで、昼がクラッカー、夜にはカレーライス。これで栄養は足りているのだろうか。
化粧する、マニキュアを塗る、スイーツを食べる、スカートを履く。見てくれ良くするのために薄着する。それではたして努力は報われるのだろうか。
まだ聴いてもいないレコードが売れ、まだ読まれていない新刊本が売れると言うことはどういうことなのだろう。売れ筋なんてことにどれだけの価値があるのだろう。
動かなくなった時計やら割れたままの花瓶をどうして捨てないのかしら。家の中は狭いので溜め込まないでもらいたいな。
法令で禁止されているから「してはいけない」のではなく、自分の身を守るため自らの信条に生きるために制限すべきことなのに、なぜ人は他に責任を求めるのだろう。そんなに人は野蛮で危なっかしい存在なのだろうか。
責任とは、責任を取るとは一体どうすることなのだろう。誰も教えてくれない。誰も見本を示してくれない。したことの責任、しなかった責任。どうすれば納得出来るのだろう。
床に落ちているゴミが見えないか。桟に積もったホコリが見えないのか。掃除をしないとはどんな料簡だ。ため込むだけため込んで、使いもしない要らないものを増やし続けるのはどうしてなのか。物を大切にしていないなあ。
美味しいか美味しくないか、健康に良いか良くないか、そこに判断基準があるかのようだけれど、本当に身体の求めているものはそんなところにあるのだろうか。
私が動かないのは、そう、ヤル気になれないだけなのです。意義も見出だせない、身体も拒絶しているかのようだ。誰もがしていると言うだけで、なぜ同じようにしなければならないのか。かつてしたことを同じようにし続けることが、果たして正しいことなのか。
日本一、世界一を目指す生き方というのが分からないし、それが何になるというのだ。
外食を減らし、自動販売機の利用も控えた。余分な買い物はしないようにし、食べ過ぎないよう心がけることにした。これで本当に倹約になっているのだろうか。
何だか最近、手抜きのオカズばかりのような気がするのですが、気のせいでしょうか。買ってきた惣菜だったり、パックのご飯だったりするのは、何故でしょう。 自分の存在意義を確認せよ。
ヒジキやオカラが美味しいと思えたことがない。私の味覚は貧しいのでしょうか。
情報洪水の中で、今日も溺れている。いったいいつになったらこの悪循環から抜け出すことができるのだろう。
今日も瞬く間に一日が過ぎ去ろうとしている。やり残したこと、手が付けられなかったこと、片付かなかったこと。どうしてこう先送りばかりになるのだろう。