2017-01-01から1年間の記事一覧

里庄へ井原へ

車で里庄と井原に行く(仁科会館、芳井歴史民俗資料館、華鴒美術館コンサート)

足腰の衰え

まったく足腰が弱ってきた。そのうち旅行にも行けなくなるのだろう。外出も億劫になるのだろう。そうして衰えて行くのだろう。

大阪へ

新幹線で大阪に行く(絹谷幸二、ゴルゴ13、文化庁シンポジウム)

井原へ矢掛へ

車で井原と矢掛に行く(上西竜二、田中苑、アニメコレクション)

宝塚映画祭へ

夜明け前の新幹線で宝塚に行く。初めての売布神社前。映画館で古い邦画3本連続鑑賞。体力の要ることで。

疲れて

私は疲れている。あまりにはかない人生というものに疲れている。薄情な世の中に疲れている。ありふれた自分に疲れている。昨日・一昨日の行動の疲労が残っている。朝早く起きたので疲れている。早く眠りに就こう。今日の悔いを思い返す前に眠りに就こう。

静岡2日目

クレマチスの丘に行く(IZUphoto、ヴァンジ彫刻庭園、井上文学館、ビュフェ) 大岡ことば館へも

静岡へ

新幹線で静岡に行く(パロディ木彫、デンマーク・デザイン) 風雨強し。 三島に宿泊

急かされ

信号に早く行けとば急かされて 疲れし足は休む間もなく

ウォーキング

腕の振り、足の運び、息の継ぎ。三者を同時に理想通りにこなすのは難しい。まだまだ他にも注意することはあるのだろうが。

待ち時間

移動でかかる時間は苦でないが、ただ呆然と立ちつくすだけの待ち時間は苛立つ。同じ経過時間なのに、この感覚の違いは何なんだろう。そう言えば、異性を待つ時間もまた別の趣きがあるな。

目を肥やし

目が肥える、耳が肥える、舌が肥える、鼻がきく。ウンチクはなくとも、楽しめれば良いじゃないか。研究発表する訳じゃなし。

雨の日も音楽三昧

成羽と矢掛に行く(弦楽四重奏、声楽&ピアノ)

娘が手術

娘が手術することになったという。私に何が出来るというのだ。関心がないのではなく、ただ手をこまねいているだけ。

来年の

来年のスケジュール帳を買う。まだまだ生きるつもりなんだなあ。

ギャラリーへ

地元のギャラリーに行く市立美術館ーー医師会、 十露別館ーー水彩画、 工房イクコーー現代アート絵画、 刻の美術館ーー書と織、 公民館ーー講演会

眠れない

疲れているのに眠れない。不安はうっちゃっているのに悶々と。腹の立つこともどこかで帳尻を合わせているつもりだが。

選挙ですね

自由が自由でなく、民主が民主でない。名前が内実を表していなくては困るなあ。掲げる理想と現実の行動が離れていますよ。

牛窓へ

車で牛窓に行く(白汀) 備前市歴史民俗資料館は閉まっていた。 帰りは、孫の所に寄り、岡山市南区の古本屋に回るが店舗なし。

隣町の祭りに行き

お祭りに人の集いて賑やかに 日常忘れ遊ぶはいつも 屋台波 美味し匂いに導かれ 腹の欲望抑え難くに

雨の日に徒歩で

今日は朝から雨の一日となる。わりと強く降る。傘をさし、手荷物を持って、歩いて、出かける。少しの手荷物が重く感じられてならない。

保健指導を受ける

生活習慣改善目標 1.よくかんで食べる 2.砂糖入り飲料は飲まない 3.ダブル炭水化物の昼食はやめる

一瞬の判断

顔を見て、目を見て、胸を見て、腰を見て、脚を見る。それは一瞬のこと。恋は一瞬にしかない。今まで積みあげてきた経験に照らして一瞬のうちに判断される。そしてその感情は続かないもの。それを永遠なものだと錯覚するところに人間の浅はかさがある。

思うように行かないもので

何を犠牲にし、何にこだわりをもって日々生きているのやら。所詮、はかない人生でしかないものを。

君を思うて

あこがれの君を思うてみるときは、忘我の時か回顧の時か

惚れたが負け

恋愛における勝ち負けとは、惚れた方が負けなのか。惚れられた方が勝ちなのか。そんなもの出会い頭でしょう。生きるために寄り添い、生き続けるために期待せざるを得ないのか。

高梁へ

車で高梁に行く(山岡コレクション、比庵)

痒い

痒いの。薬を塗ってもなかなか治らない。出物腫れ物あちこち。 気になって仕方ない。

度々

来月は10回も電車で岡山へ行くことになりそうだ。半分はオープンスペースでのフリーライブなのだが。

書けない

○を描けない。直線も引けない。手が震えて、まともに字が書けないみたいだ。