2009-01-01から1年間の記事一覧
岡山へ行く(病院跡、リビング)
岡山へ行く(宗達、昭和)
一人静かに音楽を聴いています。誰にも邪魔されず。酒も飲まずに。目は疲れ、本も読む気になれず。倹約してどこにも行けずに。
勝央へ行く(清張の愛読書)
何かを為せと言う。為さぬが一番卑怯だと。変わらなくてはいけないと思う。でも、人に言われてまでしたくない。そう思いませんか。
ゆっくりと話を聞いてあげられなくて、ごめんね。かまってあげられなくて、心苦しい。世の中に大切なことはそうそうあるはずもないのに、なぜかいつも忙しくしている自分が悲しい。使い古したクリアファイルの悲しさよ。くたびれた人間のぼろ雑巾さよ。
今度のプレゼントはいかがでしたか。ささやかな物ではありますが、気持ちだけでも受け取っていただければ、うれしいものです。携帯の番号さえ知らないので、連絡があるはずもなく、何も期待していないことでしょう。どこまでも交わることのない二人の間柄で…
両国、上野へ行く(写楽、芸大) 今日も東京の街を歩き疲れた。
表参道、霞ヶ丘へ行く(秋山写真、太郎のイメージ、スポーツ) 霧雨の朝、東京で二日目の会議あり。
東京ミッドタウンへ行く(玉手箱、骨デザイン) 東京に着くと早歩きになるのはなぜだろう。会議あり。
排泄を家でしか出来ない人、学校では出来ない人、会社でしか出来ない人。それぞれに心理的制約があるのだろう。でも、老人になったら、仕方なく誰かの世話になるのです。生理的欲求は誰もが抑制しきれない。
惰眠をむさぼっている訳ではありません。本当に身体が言うことを聞かないのです。疲れが溜まりすぎてどうしようもない。気力でと言われても、そんなものもう残っていません。
業務命令をするのはいいけれど、目的、寄与度、評価を明らかにしてもらいたい。どうしたらいいんでしょう。
今頃、南の島で日蝕を見ていたはずなのに、こんなに仕事があるなんて、勘弁して欲しい。私が何か悪いこと、しましたっけ。
かつて日記は大学ノートに書いていた。それがワープロになり、パソコンソフトになり、ついにはウェブログになってしまった。
若い頃の疲れと、中年以降の疲れは違う。哀愁もあるし、不如意もあるし、どうにも慮れない。何かが足らない。その質が違う。
正直ではないけれど、オネスティでありたい。誠実さを大切にする人々の中で生きて行きたい。
Honesty is the best policy.
「たとえ世界の終末が明日であろうとも、わたしは今日りんごの木を植える。」ルーマニアの作家 コンスタンチン・ゲオルギュ 広島で会議あり
広島へ行く(絵画と写真、映像文化、お好み焼き)
服が足りない。靴が不満だ。ラジオが壊れた。買いたい身の回りのささやかな物たちがいろいろあるけれど、さし当たってのお金がない。財布の中身も、預金通帳の残高も、寂しい限りだ。物の少ない生活にしなくてはならない。欲望を制御するしかない。
自分の不遇を他の人や世の中の所為にしないでもらいたい。そのことを理由に事件など起こさないでもらいたい。自業自得という言葉を知らなさ過ぎる。因果応報という事を知らなさ過ぎる。
うちの家人はエコ生活が出来ない人だ。少し前から、かたづけの出来ない人だとは気づいていたが。地球に優しくない。子どもの教育になっていない。同棲人への思いやりがない。可哀相な私。
京都へ行く(ルーヴル、白樺派、樂茶碗)
出来もしないのに、見栄を張ってしまった。格好つけているつもりはないけど、素気無くしてしまった。肩肘張って生きるのではなく、素直に生きたい。気持ちよく仕事をしてもらわなくては。
戦略は、run(継続)かgrow(成長)かtransfer(変革)か。今、本当に必要な選択は何なんだ。
誰にでも同じであるはずの時間の速度は、決して同じではない。時の進み加減は人によって違う。年齢の違いや一緒に居るかどうかに関わらず、時間の速度は違っている。だから、他人を理解するのは難しい。
地図を見る。かつて行った思い出の場所は今、どんな様子なのだろう。もう二度と訪れることのないところばかりだ。思い出に耽ることもできず、断片的な記憶のかけらがふとよぎるのみ。
欲しいもの。プロセスをデザインする能力、業務構築センス、責任者の覚悟。誰も教えてくれないし、正当な評価も得られにくい。他人事ではないぞ。
また失言をしてしまった。怒ることは難しいが、怒らせることは簡単だ。いつまでたっても成長できない。物覚えが悪い。学習効果が活かされていない。反省が足りない。