こだわり

花を育み野菜の世話をする優しい心を持って、心豊かに暮らして行きたいものだ。せめてもの観葉植物を買う。

好い人だとか信頼できるとか、人を見る目などあてにならない。他人のする評判など眉唾物だ。 中身を少しも見ないで題名だけで本を買うなんていい加減なものだ。せめて目次くらい見たらどうですか。 身に付ける物を体に合わせることもなく、実際の色目を見る…

「一年があっという間に過ぎ、時のたつのは早い」と言うけれど、時の経過は早くなったり遅くなったりするものではない。皆同じ条件の下にある。人類の歴史からすれば人の一生なんてほんの一瞬のこと。何をあくせくすることがあろう。充実した日々は速く行き…

一人の時間、一人の空間、しがらみのない関係。それが心地好い。

納得できる日々のためには、どう過ごそうか。アーティストにはなれないけれど、せめて経済的逼迫のない程度に好きなことに耽溺できるといいな。時間に縛られず、欲は少しで、質素にし、多くを持たず、ただ興味の赴くままに。

成功しなかった者の心を、悪に染まり抜けられない者の心を、立ち上がれない敗者の心を、どうしたら救えるのだろうか。うだつのあがらないダメな奴の生きる道は、どこにあると言うのだ。勝った者は良い。満足している者はそれで良い。悩みきれない一般庶民は…

落語は話の内容もさることながら、ライブ感だよなあ。ジャズも曲相もあるけれど、生演奏の迫力だよねえ。どちらも名曲かどうか、話の完成度なんかより、生の名演奏・名話芸さこそが真骨頂だと思います。

もっと野菜を、もっと緑を、もっと陽向を。健康が最終目的なのではなく、健康になって何をしたいのかが問題だ。

女子がタメ口を利くものではない。雅でいてもらいたい。

出来たことと出来なかったこととの積み重ねが、年輪となる。進展がなかったからと言って、後退しているとは言わないで。沈思黙考と言うあり方があるでしょう。

他人と比較しない生き方をし、多くを望まず、シンプルな生活で、余分な物を持たないこととしたい。困難に負けない精神力を持ちたい。

お酒を美味しいと思ったこともなければ、その場が楽しかったこともない。カラオケが楽しかったこともないと思う。好みは人それぞれ。普通は、などない。 冬にはみかんが、夏には桃があれば嬉しいが、なければないでどうとでもなる。

女より男の方が優れているという考えは間違っている。どこかの国とか民族が、他のそれより優れていると主張することも間違っている。民族の誇りは持つべきとしても、だからといって他を疎んじてはならない。どうせ五十歩百歩ですよ。

人は時として、あっという間に死んで行き忘れ去られることもあれば、生き永らえて迷惑をかけ続けることもある。現代医学はなかなか個人の自由には死なせてもらえそうにない。何を残そう、何も残すまい。人の言う幸福に基準を置くまい。 枕は高い方が良いのか…

唄を唄うほどのリズム感も声量もなく、絵を描くほどの描写力もなく、文学を書くほどの文才もなく、演説を語るほどアジることもできない。でも、自分は好きなことをして生きて行く、これからは。誰の評価にも惑わされずに。

お笑い芸とオチャラケは、可笑しさでは似ているけれど、その存在意義はまるで違うものである。一流の芸にはきちんと評価をすべきだ。

腹がへったら食べる、眠くなったら眠る、寂しくなったらラジオをかける、家中が嫌になったら出かける、本を読みたくなったら図書館へ行く、映画を観たくなったらDVDを借りる、ゲームをしたくなったら少しだけする、寒くなったら布団にくるまる、暑くなったら…

しゃべくりはウンザリだ。静かにしていたいだけで、決して不機嫌なわけではないのです。

書物は題名だけで買うわけには行かない。目次くらいでも不十分だ。やはり中身を見てから買いたいものだ。 ビジネス書は得るものが少ない。値段の割りに何だかなあ。

静寂を嫌うな。沈黙を怖れるな。多くを語らず、心を開く姿勢で行け。喧騒は怖い、まるでひとりぼっちみたいで。多言を用いて、内容のないことが多すぎる。

勇気は必要だが、無茶振りには意味を見出だせない。もう若くないのだから、ゆったりと構えて、のんびり行きたいものだ。出来ることはしますよ。 ネットで話題の○○って、決して本物の流行りなのではなく、どこかの井戸端会議レベルのことでしょう。感性も情報…

笑顔を忘れていないか。笑顔の練習が必要。苦笑いがダンディーとは限らない。男も愛嬌さ。

私は今日も生きています。どんなに打ちのめされても、耐えて耐えて、生き続けるしかない。自分から終わりにする訳にはいかない。誰も悲しまないとしても、諦める訳にはいかない。どんなに辛く悲しいことだとしても、歯を食いしばってこの生を全うするだけだ。

孤独死、孤立死は不幸なことでしょうか。長生きは悲しいことでしょうか。私は誰にも看取られず、一人で終わりにしたい。それも個人の自由でしょう。周りでとやかく、可哀相などと言わないでもらいたい。

職場では、上の者に媚び諂って、要領よく渡って行く人っていますよね。私の直属の上司がそうなんですよ。下の者はやる気をなくすし、出世に希望が持てないよなぁ。あんな上司にはなりたくない。せっかく仕事に意義を見出だせてもねぇ。

空き家の管理をしている。モッタイナイ精神は善いけれど、要らないものをため込むのもどうかと思う。誰にも使われないままに、朽ち果てて行くものたちが可哀想だ。

可愛い服の人より、笑顔のかわいい人がいい。気立てが良くて、愛想が良ければなおいい。自分のことは棚に上げていますが。

長生きが目的なのではなく、人生の満足度こそが問われるものでしょう。些事が多すぎる。ワガママではなく、為になる生き方でありたいものだ。

教育すると言っても、知識を押し付けるばかりで、ちっとも育成になっていない。マニュアルどおりには、人は動かないものですよ。そこに愛情がこもっていなければ、伝わらないものですよ。

システムが人を幸せにするのではない。人は、人との温かな交流によって幸福感を得ることができる。いくら時代が便利になろうと、人間味が薄れて行くのは悲しいことですね。