新幹線で大阪に行く(福田平八郎展、円空展、都そば、栖鳳展)。 帰って、食料品購入へと。 一万二千歩
人はどうして「美しい」と感じるのだろうか。その感性はどのようにして生まれるものなのだろうか。
いらないアプリは削除できなくて、動いてほしくない時に勝手に動く。ままならない。
春の装いに切り換えなくては。 今週は音楽三昧に。
ウォーキング、会合の後、 車で鴨方に行く(そば、ジャズ、ギャラリー)。 帰って、食料品、図書館受取へと。 三千歩
まったく、読める字が書けなくなってきた。どうしたものか。 美術鑑賞の展示を見るのも、あまりよく見えなくなっている。方式を変えなくては、と思う。
電車で福山に行く(親子丼、ふくやま美術館、草戸千軒ミュージアム講座)。 帰って、食料品購入へと。 五千歩
スッキリものを片付けるためには、まず物を少なくすることだ。分かってはいるのだが。
5分後10分後にしようと思うことがらは、たいてい忘れている。 鼻の左の方が少し前から腫れた感じになっているのは何だろう。
老後の人生には、楽しかった思い出があれば、その後が波風のないつまらないものであっても、心安らかに生きていける、というのはウソだ。思い出だけじゃ生きていけない。忘却こそが人生の真実に近いような気がする。
平穏なのが日常ではない。戦場こそが本来の日常。災害が通常。傲るな。
人生の達人は何している人? ネットで話題にしている人って誰?
電車で岡山に(キムラヤ、林原美術館講演会)。 帰って、食料品へと。 五千歩
空気の冷たさ、厳し。 花粉症の症状マックス。
電車で岡山に(ドトール、NHKアーカイブス、県立図書館、ありがとう食堂、朗読会)。 帰って、うどん、壮年へと。 八千歩
鼻の不調がまた一段と。
鬼ノ城で歴史に浸る。 七千五百歩
今週は講座の連チャンだ。
出来る時に出来ることはしておこう。しないのはする気がないため。出来ない理由を探すのはやめよう。 相変わらず鼻先が、カサついているのか。
やはり外食は計画的に行きたいものだ。
6月の東京でのゼミの同窓会はどうしよう。行きたいのはやまやまだけれど、ホテルでするので2ヶ月前からキャンセル料がかかるしなあ。参加者もそんなに多くないようだ。
ドトールの後、 電車で岡山に(NHKアーカイブス、幸町図書館、ラーメン)。 帰って、天満屋画廊、ゆうちょ銀行、食料品へと。 七千歩
鼻が耳が眼が喉が腰が首が足が、そして思考さえも。どうなってしまうんだろう。
家に居ないと布団も干せない。居住空間が快適でない。革命家は孤独なものです。
夢を見た。賞味期限の食材が、一人では食べきれないほどに台の上に溜まっていた。
パフォーマンスだなんて、言葉に過剰な意味を持たせているような気がする。日本語で話せよ。
節約して安い食べ物や衣類を選んだが、それは必ずしも良くなかったのだろうか。心まで貧しくなったようで。
電車で高松に行く(たかまつ遺産講座、屋島駅下見、巴水展)。 帰って、食料品購入へと。 一万二千歩
電車で岡山に(そば、海ごみプラごみ削減フォーラム)。 帰って、食料品へと。 三千歩
左耳の方で振動音のような響きがしているような気がする。