慎独
退屈さを趣味にすることができたら、この人生もう何事もなくても安穏なのだろう。
まったく、読める字が書けなくなってきた。どうしたものか。 美術鑑賞の展示を見るのも、あまりよく見えなくなっている。方式を変えなくては、と思う。
平穏なのが日常ではない。戦場こそが本来の日常。災害が通常。傲るな。
出来る時に出来ることはしておこう。しないのはする気がないため。出来ない理由を探すのはやめよう。 相変わらず鼻先が、カサついているのか。
節約して安い食べ物や衣類を選んだが、それは必ずしも良くなかったのだろうか。心まで貧しくなったようで。
コンビニのおにぎりとサラダばかり食べている。こんなでいいのか。 食べ物を横に置いて、我慢すべし。
身分とか家柄とかをベースに思考する人が今もいるのですね。人としてどうなのかな。今どき、女だからとか自分とは違うからとか、言ってる場合じゃない。
また注文を間違われた。店員が未熟だったのだろうか。あるいは、自分の声が出ていなくて、聞こえていないのかもしれない。 文学が分かっても、文学作品は書けない。読むことはできても、創作はできない。
計画的に食べようとして、食べすぎているような気がする。もっと短絡的になり、ひもじい思いをしたほうがいいのかもしれない。
戦争をする人間は愚かだ。宗教で救いを求める人間は愚かだ。教養が何にも役立たないなんて、人間は愚かだ。
怒ってはいけない。正論だけで人は動かない。共感と納得を得るにはどうしたらいいのか、考えて行動するしかない。
だんだん自分の物言いが偉そげになっているような気がする。こわいこわい。自戒自戒。 3時間しか寝れていない。
もっともっと本を読みたいのだが。読むに足る本は、そう多くないのかもしれない。時間との戦い。
病気のことを学ぶほどに、自分の身に起こっている些細なことの全てが、何らかの病気に向かっているように思えてならない。
ゴミを減らしたいけれど、産業や経済の循環がそれを許さない。便利になった習慣が戻れない。
人が「最高だ」と言うものが、最高だとは思えない。「スゴい」と言うが、ちっとも凄くない。醒めている。 勇気や元気はもらうものではない。
楽しみ方は、教わるものだろうか。ただ、興味の趣くままに楽しめばいいように思えるのだが。
好き嫌いは、時の運。あなたのせいじゃない。受け容れるしかない。 銭勘定は、時の運。どうしたら儲かるかなんて誰にもわからない。結果論でしかない。
夢の中では、熱弁を振るっている私。現実のこの世では、寡黙な私。 例え話の上手い人になりたかった。成れたかな。
音楽も奏せず、説教も告れず、静かに生きるしかない。
人が死ぬということは、魂が抜けることだろうか。生体維持ができなくなった状態だろうか。心臓が止まってしまうことだろうか。何を怖れることがあろうか。
首輪とか、イヤリングとか、ネイルとか、イケメンとか、女性の萌えポイントなど分かるはずもない。古代でも、どの民族にも何某かあるんですね、儀式だとしても。
文章を書いても、詩を綴っても、短歌や俳句を詠んでも、文学的にならないのはなぜだろう。才能がないのだから仕方ない。
お腹いっぱい食べることはもうないだろう。バイキングも食べ放題もランチさえも、もういらない。少食メニューのある外食産業に期待したい。 風呂に入る元気がない。チョットのことで疲れ切っている。食べ過ぎだったか。
今できることは何か。これからもできることは何だろうかと。考え続けるしかない。 残尿感が哀しい。汗なのかも。
手袋をはめようとした時の、左右はいつも反対になり。下着の裏表前後はだいたい反対になっている。とかくこの世はままならず。
誰かがこっそり儲けている。理不尽だけど、それも世の常なら仕方ない。少々の格差があっても仕方ないけど、報われない世間ならそのあり様はやりきれない。
もう何も思い出せない。すべては忘れ去られた。悔やむまい。悲しむまい。思い出に生きるのではなく、未来に生きるしかないのだから。
人と話をするのが煩わしい。いつまで経っても乗り越えられない。そう思われないのもなぁ。思っていることの半分も語れない。 この肉体は、使わないと錆びるし、正しく使っていないと傷みかねない。良い習慣は身につかない。
キチンとした字は書けないけれど、悲しくはない。みんなのようには、童謡を口ずさめないけれど、うらやましくはない。出来ないことは忘れて、好きなことだけして生きていこう。